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ミーコワールド

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人生は棺桶勝負

 

  [人間は棺桶勝負]

私は何人かの陶芸家の知り合いがいる。

その内の一人がある時私に「人生は棺桶勝負だと思っていますから」と言った。

その人はガス釜でなく、薪で焼いている。

赤松がいいので雑木林を伐採するという事を耳にすると頂きに行くそうだ。

「何日もかけて運ぶのです」と言った。

知り合いにも頼んでおいて情報を提供して貰っているらしい。

しかしめっぽう赤松が減ってしまったと嘆いていた。

1985年頃の話なので今はどうなのだろうかと、ふと思う事がある。

赤松が減っただけでなく雑木林も荒れているとその人は嘆いていたのが

私の脳裏に焼き付いている。

荒れているのは雑木林だけでなく、竹林もそこかしこで荒れ放題である。

それからも山々は手入れされる事なく現在に至っているようだ。

京都府の筍の産地では山の上まで竹が生えて頂上に竹のそよいでいるのが見える。

話は横道にそれたなと思っている人がいるかも知れないがイエイエ決して。

その陶芸家(Kさんとしておこう)は土をこね、ロクロをまわして

毎日毎日セッセ、セッセと作品作りにいそしんでいた。

Kさんの作品はそうやって作られているので決して安いとは言えない値段なのだ。

それでも生活費の足りない時が生じてきて友達に買って貰う事があると言った。

Kさんは「ありがたい事に友人達は言い値で買ってくれる。

本当にありがたい。

彼らの為にも早く食っていけるようになりたい」としみじみ言った。

それだけの事ならよくある話、「Usually Story」なのだが私が感動したのは

それからの話。

Kさんは「食べて行けるだけでいい。好きな焼き物を作らせて貰って

こんな幸せな事はない」と言った。

私は「どうして陶芸家になろうと思ったのですか」と尋ねた。

今から思うと芸術家に愚かな質問をしたものだと思う。

Kさんは少しうつむき加減にはにかみながら

「自然になりました。 気が付くと土こねしていました。

土を見るとその土がこんな形にしてくれ、と言っているようで」と言った。

Kさんは「理由なんてないのです。僕を必要としている土の為に生きて、

死ぬとき、ああ一所懸命生きたなあ、と思えたらそれでいいのです。

その時、世間の人が僕の人間そのものも含めて評価してくれるでしょう」と言った。

良くも悪くも価値はすべて他人が決めるという事なのです。

そして生涯を通じて一所懸命生きたならそれでいいと言う事なのでしょう。

何事も一朝一夕にはなりません。

山々が荒れたのも一朝一夕で荒れたのではありません。

人間が生涯を通して手を要れてやり、可愛がってやって始めて山も川も守れるのです。

自分の生まれた頃よりも荒れていたならばそれはその時代を生きた世代の

一つの結果ではないでしょうか。

一人の人間の人生が棺桶勝負ならばその棺桶勝負の中には時代も含めて

その人が関わったすべてが入るのでしょう。

そして後に残る人々がそれらを含めて「いい人だった」「立派な人だった」と言い

「とうとう逝かれました」と言い「ああ、やっと逝かれました」と言うのでしょう。

自分の評価を気にしていては何もできないのは言うまでもない事ですが

棺桶に入る時にはせめて「毒にも薬にもならない人だった」と

言って貰えたらいいと思っている。

大して世の中の役に立たなくても、せめて他人の邪魔だけはしたくないと思っています。



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